「e-konの道をゆく」掲示板

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林道や廃村についての情報や感想、
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あけすぎました 桑名の星の

2024/01/29 (Mon) 12:04:07

こんにちは インターネットの接続が出来なくなって
さっぱり判らなかったのですが 教えていただいて何とかつながりました  今年もよろしく、、のぞきます

Re: あけすぎました - e-kon(管理人)

2024/01/30 (Tue) 23:26:24

こんばんは、桑名の星の 様
いつもこうしてご挨拶をいただき、本当に感謝しております。ありがとうございます
サイトの最後の更新から7年も過ぎているに関わらず、こうして忘れずにいてくださり心より感謝!です。
いろんなところ巡られていますか?こちらも遠征はほとんどなくなりましたが、近場にはよく出かけています。新たな発見もあったりで、タイミングを見て発表したいなと思っています。
今年もよろしくお願いします

新年のご挨拶 - お

2024/01/01 (Mon) 08:56:41

あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いします

昨年は天誅組に関係する場所を巡ってきたくらいで廃村の訪問がかなわない一年でした。
それでも、五條、十津川、東吉野のあたりは廃村ではなくともそれに近い状態の集落を通ったり、ダムに沈んだために移された墓所を訪れたり、本隊が陣をはった場所で隊士たちの見たであろう風景を見たりと有意義な時間を過ごせました。
今年はまた違った旅が出来たら良いなと考えております。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

Re: 新年のご挨拶 - e-kon(管理人)

2024/01/01 (Mon) 12:01:41

明けまして、おめでとうございます
いつも新年のご挨拶をいただき、ありがとうございます!

天誅組だと奈良県が中心となるのでしょうか。以前教えていただいた「萌の朱雀」のロケ地もそうですが、お様は奈良に行かれることが多いんですね。奈良の山間部の集落は独特の魅力があることと思います。自分にとっての憧れの地でもあり、今年こそと毎年思っています。こちらは、昨年は古道に関する所に訪れることが中心でした。現在の林道や廃村などとも共通する部分もあったりで、調べると思わぬ歴史が見えてきたりで、なかなか興味深いです。

1年があっという間に過ぎる、そういう年齢になってしまいましたが、今年もいろいろな所を訪れたいと思っています。本年もよろしくお願いいたします。写真は奥永源寺の政所の古道への道です。

岐阜・越波 - 躑躅

2023/11/22 (Wed) 07:51:40

お久しぶりです。入院・手術を何度もくり返しながら、何とか生きています。(仕事がいまだに舞い込み、それなりに充実しています。)

近況はこのくらいにして、ネットを見ていて
「番組タイトル:「ハートフルワールド」放送日時: 2023年11月25日(土)深夜0時28分~深夜0時58分<第4話 定住者のいない集落 岐阜県 根尾越波編>(CBCローカルエリア放送)出演: ヒコロヒー  鈴木省吾(ナレーション)配信: TVerで見逃し配信あり     
       【11/26(日)12:00 ~ 12/10(日)12:00まで】   
番組HP: https://hicbc.com/tv/heartfulworld/

を見つけました。後で見てみようと考えています。

Re: 岐阜・越波 - e-kon(管理人)

2023/11/22 (Wed) 10:39:30

ご無沙汰しております、躑躅様。こうしてご連絡いただき、嬉しく思います。今もお仕事に忙しくされているとのこと、自分もまだまだがんばらないと!など力づけられます。

ところで教えていただいたTV番組、早速チェックし、見れる環境を整えました。最近は行けていませんが、越波は大変思い出が深く、特に思い入れの強い場所でもあります。教えていただき、ありがとうございました。

最近はサイトならびにブログ更新がストップしている状態です。ただ山の訪問や調査は今も続けております。facebookで細やかながら写真公開など続けておりますので、もしお暇な時間などございましたらのぞいてやってください。

https://www.facebook.com/profile.php?id=100006086771429

25日の放送を楽しみにしています。

Re: 岐阜・越波 - 躑躅

2023/11/27 (Mon) 21:06:58

ハートフルワールド「根尾越波」をTVerで観ました。TV局のディレクターの制作なので “ポツンと一軒家”スタイルの編集になり、期待のものでなく 少し残念でした。

それでも、TVに出ていた人たちは『1967 越波・夏の夢物語』(菊地憲二氏)の中で生活していたのだろうと思うと、感慨深いものがありました。

1967年の物語は、私と同世代、そして私自身が越波の暮らしと変わらない生活だったので、その時一気に読み進み、何とも言えない郷愁に駆られました。

CBCTVでは取り上げられなかったが、あの山奥に願養寺という大寺があることが私には興味があります。狭い土地でありながら村にそれだけの財力があり、信仰があったのでしょう。歴史が知りたい気持ちです。

そもそも番組を見つけたきっかけは、国道157号の東隣 417号冠山峠道路が開通したというネット記事からでした(徳山ダムの先が福井県まで通じた)。

417号線の辺りは西国三十三ヵ所の満願・華厳寺、ミイラ仏の横蔵寺、それに温泉もあり、今年の初夏に出かけましたが、また行きたいと考えています。

しかし157号線は私の運転では無理でしょう。
ところで私が乗っている車は車高短の「カローラスポーツ」です。新発売から5年になります。年甲斐のない暮らしで、廃村を訪れるのは全く無理です。

Re: Re: 岐阜・越波 - e-kon(管理人)

2023/11/28 (Tue) 20:55:18

こんばんは、躑躅様
教えていただいたハートフルワールド、拝見いたしました。
出てこられた越波の方々は、私が行っていた頃にお出会いした方はいらっしゃらなかったのですが、最初に登場した男性は「1967 越波、夏の夢物語」にも登場していた方だったと思います。こうしてみると不思議な感じで、まさに夢物語だったように感じます。長らく越波にも行っておりませんが、あれを見るとまた訪れてみたくなりますね。なんかお寺の様子も変わったように思います。といっても、もうすぐ通行止めになるかもしれませんが…。
こうして教えていただいたことで、久しぶりに越波の風景が見ることができ嬉しく思っています。ありがとうございました。

最近は自分は小さな車に乗っています。幅広の車の時と比べて、ずいぶんと機動力が高まったと実感しています。

突然ですが - お

2023/06/11 (Sun) 20:30:25

管理人さん、こんばんは。
いきなりですが、本日の「ポツンと一軒家」というTV番組で福井の熊川宿の奥、河内で養殖池をやっておられる方が取り上げられています。

Re: 突然ですが - e-kon(管理)

2023/06/11 (Sun) 22:00:28

こんばんは、お様
そうなんですね!家族が録画していると思うので、ぜひ見てみたいと思います。ありがとうございます!

そういえば一昨年の年末だったでしょうか、朽木の猪料理をされていたお宅の一軒家が紹介されていました。その話に思い出話として出てこられた女性の方(故人)に、ずっと以前にウリボウと散歩されているところにお出会いして、散歩中のその方、娘さん、子犬、ウリボウの写真を撮らせてもらったことがあったので驚きました。他にあの番組では武奈も紹介されたことがあるみたいですね。

いつも貴重な情報をいただき、感謝いたします。

あけましておめでとうございます 桑名の星の

2023/01/12 (Thu) 21:29:02

でおくれましたが。
今年も時々覗きます
どうぞよろしくおねがいします。

Re: あけましておめでとうございます - e-kon(管理人)

2023/01/13 (Fri) 21:15:02

明けまして、おめでとうございます
こんばんは、桑名の星の さま。新年のご挨拶をいただき、ありがとうございます。
最後のサイト更新からずいぶんと年月が過ぎてしまいましたが、それでもこうして訪れていただけることに唯々感謝です。廃墟のようなサイトですが、まだ現役です。懲りずに、今年もよろしくお願いします。

新年のご挨拶 - お

2023/01/02 (Mon) 14:50:18

あけましておめでとうございます。

昨年は春に久しぶりにホハレ峠に行ったのですが、峠のお地蔵さんは昔とは違うものになっているし、奥に続く道は整備されて少し下の方までクルマで行けるようになっていました。徳山会館の館長さんの話だと将来的には門入まで道を繋ぐんだとかいうはなしでした。
秋には岡崎で行われた「水になった村」の上映と大西暢夫監督の講演があったので行ってきました。また、揖斐川町で「ふるさと」の上映と神山監督の講演に行ってきました。
さて、今年はどんな年にできるのか分かりませんが、やり残しはしないように心がけたいと思っております。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

Re: 新年のご挨拶 - e-kon(管理人)

2023/01/03 (Tue) 10:12:00

あけまして、おめでとうございます。
新年のご挨拶をいただき、ありがとうございます!

ホハレ峠や林道は、だいぶ様相が変わっているんですね。私が訪れた時は、改修工事直後の荒々しい未舗装路でしたが、もうずいぶん前の話です。門入まで道が繋がる計画もあるんですね。昨今の秘境ブームで心配な面も多々ありますが、元の住民の方が徒歩による山越えやボートで訪れられていたことを思うと朗報だと思います。写真は16年ほど前の門入です。住民の方の姿も見えます。

神山監督の講演、撮影時のいろいろな話など大変貴重な時間だったことでしょう。「ふるさと」は何かと思い入れの多い映画で、dvdも購入し今も年に1回は観ています。その度に新たな感動を感じるのは、自分の見た風景と重なるからかもしれません。(勝手に重ねています)

「やり残しがないように・・」、いい言葉ですね。ここ数年やり残しだらけの自分ですが、今を乗り越え次に進みたいものです。

貴重な情報と刺激をいただいています。本年もよろしくお願いいたします。

今日の新聞に - お

2022/05/02 (Mon) 11:54:07

管理人さん、こんにちは。
今朝の読売新聞に興味深い記事が掲載されていました。
元長浜市助役で高時川源流域の集落の写真集「地図から消えた村」を出版された吉田一郎さんの紹介です。
管理人さんならすでにご存じで、もう入手されているかも知れませんね。
私は早速、近隣の利用可能な図書館を検索したら全て貸し出し中でした。
早く貸出可能になって欲しいものです。
また機会があれば、久しぶりに現地にも行ってみたいという気持ちになってきております。

それとは別の話になりますが、県内の旅行会社が土倉鉱山跡から奥土倉鉱山跡までのトレッキングツアーを開催する広告を出していました。
ガイドしていただけるのは魅力ですが、少々違和感を感じツアー参加はしようとは思えない自分がいるのがなんとも…
こちらの方も久しぶりに行ってみたいと思っています。

Re: 今日の新聞に - e-kon(管理人)

2022/05/04 (Wed) 02:04:36

ご無沙汰しております。
いつも貴重な情報をいただき、ありがとうございます。

写真集「地図から消えた村」、実は写真集の制作前に余呉の洞寿院で先駆けて行われた写真展に昨年訪れておりました。針川取材でお世話になった方から教えていただいたものです。その時、クラウドファンディングで写真集を制作されるとのことを伺い購入したのですが、本当に貴重な写真がいっぱいで、驚きと感動に加え「まだまだ見たい」という気持ちが沸き起こる素晴らしいものでした。市販されないと聞いていたのですが、日野町でしたかの書店で販売もされていたので、やはり反響が大きかったのだと思います。ぜひご覧になられてはと思います。

奥土倉へのトレッキングツアーがあるんですね。最近になり、あのあたりの道が整備されていたので、何かされるのかなと思っていたのですが、歴史を語る遺産として残そうということなのでしょうか。奥土倉では何度かのアワによる犠牲者も出ており、自分自身としてはそっとしておくべき場所なのかなというイメージでしたので、訪問した時もサイトでの公開もしてなかったと思います。市としては「語り継いでいこう」と決定されたのかもしれませんね。熊出没の多い地域ですのでツアーとしていくのは安全かもしれませんが、時の流れを感じますね。

写真は10年ほど前に訪れた奥土倉です。巨石の前に泡の犠牲となったと思われる方の墓標があったのが印象に残っています。今はどうなっているのでしょうか。

貴重な情報を、ありがとうございました。

おくればせながら新年の御挨拶を - お

2022/01/06 (Thu) 21:40:05

あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いいたします

昨年末の大雪の中、2回ほど永源寺から多賀、多賀から彦根あたりを偵察してきました。
平年の三十数倍の積雪量とかで鳥居本あたりも除雪で大変な様子でした。桃原にも上がろうと思ったんですが倒木に阻まれすごすごと引き返してきました。
年が明けてコロナが再び増加に転じて、またもや息苦しい生活に戻らざるを得ない状況に、まあ想定内と割り切れる自分に慣れの恐ろしさとしたたかさのようなものを感じています。そんな中で春には長年働いた職場を離れて自由な時間を増やして感染に気をつけながらあちこち出かけようと悪いたくらみをしています。

Re: おくればせながら新年の御挨拶を - e-kon(管理人)

2022/01/08 (Sat) 14:14:50

お様
遅くなってしまいましたが、新年おめでとうございます!
お返事が遅くなり、申し訳ございませんでした。毎年、ご挨拶をいただき感謝の気持ちでいっぱいです。更新できていないにもかかわらず、こうしたつながり持っていただけることを嬉しく思います。

大雪の多賀へ行かれたんですね。桃原への道は倒木で電線も垂れ下がるなど近寄れないようです。今回は前回の大雪の風景の時以上の積雪でしたので、集落の景色はすごいことになっていることと思います。
ところで、春には自由な時間が作りやすくなられるとのこと。自分も、あと少しで再び自由な時間を作って、これまでの蓄積の仕上げや新たな探索をしたいなど思っています。その時はまた、いろいろな情報交換をよろしくお願いします。

写真は琵琶湖から見た霊仙山で、手前の白い斜面は野沢セメントの採石場跡(イワス)です。年明けの撮影です。

あけましておめでとうございます - 桑名の星の

2022/01/05 (Wed) 00:06:55

少し遅れましたが、あけましておめでとうございます。

管理人様もお身体などお変わりありませんか

去年は時山から五僧の峠までしかおじゃまできませんでした。
まだ家屋は形をとどめていました。

時間を創るのがへたですね、ゆっくり訪問できるのは
いつになるやら。あせらずいきます。

また今年も覗かせていただきます。

では。

Re: あけましておめでとうございます - e-kon(管理人)

2022/01/05 (Wed) 23:12:53

桑名の星の 様、新年おめでとうございます!
いつも新年のごあいさつをいただき、ありがとうございます。最終更新から3年以上過ぎてしまいましたが、こうして立ち寄っていただき感謝の思いがいっぱいです。
以前に比べ時間が取れなくなったり、余裕がなくなったりしていますが、山の集落や林道散策は細々と続けております。記事の更新も諦めておりませんので、これからももよろしくお願いいたします。

写真は昨年秋に訪れた多賀の山奥の林道です。

おくればせながら - お

2021/01/12 (Tue) 13:40:16

あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いいたします

コロナと大雪を引きずって迎えた新年ですが、国際的なことも内政も、なんだかどんどんややこしくなっているような…
GOTOもストップし不要不急の外出の自粛を求められてはいますが、感染対策に十分気を付けホッと息抜きが出来る風景を求めてふらふらしてます。

息子を高山に送って行ったときに撮ったんですが、乗鞍や北アルプスに夕陽があったって綺麗でした。
住むには大変かもしれませんが、旅する人の心にしみる風景を見せてくれます。

Re: おくればせながら - e-kon(管理人)

2021/01/13 (Wed) 00:54:08

明けましておめでとうございます。
今年もご挨拶いただき、ありがとうございます。

北アルプスの見える雪景色、いいですね。人を寄せつけぬアルプスの深く壮大な山々、一方滋賀は人々の生活がある山々、それぞれ違った魅力がありますね。
鈴鹿の山々を遠くから見た時、この奥に人々の暮らしがあることをよく考えます。写真は夕日の当たる霊仙山ですが、この麓に暮らす人たちがあった時代、それが消えた現代、その違いはなんなんだろうかなど思います。

思いもよらぬ時代の流れになり、これから先もなかなか予測できない中で、社会や価値観はどうのように変わるのでしょうか。こういう時こそ、振り返り、見直すことの大切さを強く感じます。

すっかり滞ってしまっているサイトですが、今年もよろしくお願い致します。

あけましておめでとうございます - 桑名の星の

2021/01/06 (Wed) 23:58:43

少し遅れましたが、あけましておめでとうございます。

今年こそホームページの記事を参考に滋賀の林道をゆっくりと訪れてみたいです。

今年もちょくちょく覗いていきますので・・(笑)

Re: あけましておめでとうございます - e-kon(管理人)

2021/01/07 (Thu) 00:30:44

桑名の星の 様
ご挨拶いただき、ありがとうございます。

明けまして、おめでとうございます。
最後の更新から2年以上が過ぎても、こうしたメッセージをいただけること、心より感謝しております。

頻繁に林道訪問をしていた頃と比べると、未舗装林道がめっきりと少なくなってしまった滋賀の林道ですが、それでもたまにその希少な未舗装路を走ると大変心癒されます。写真は林道ではありませんが、雪の鈴鹿・芹谷の集落の様子です。静寂の風景は大変美しかったです。

今年こそ更新したい!など思っています

発見! - お

2020/07/28 (Tue) 18:45:41

管理人さん、こんばんは。
コロナが席巻して大変な状況が続いていますが、お変わりありませんか。
先日、多賀町史編纂を考える委員会のブログを拝見しました。
あれ?どこかで聞いたような話だなぁって思って拝見していたんですが、管理人さんが掛かれたブログだったんでしょうね。
もう長いこと榑ヶ畑あたりには行っていないのですが、初めて入って、廃村が示されていた案内板を見かけた時の事を思い出しました。
で、最後まで拝見して、あれ?
kon?
もしかして?
間違っていなければ、今頃初めて気が付きました(^▽^;)

Re: 発見! - e-kon(管理人)

2020/07/28 (Tue) 23:24:11

こんばんは、お様
なんだか、これまでにない予期せぬ事態で、未だ先行きの掴めない情勢の中での生活が続いていますが、お元気にされているでしょうか。

多賀町史編纂を考える委員会のブログを見ていただいたんですね。ありがとうございます。おっしゃるようにご縁があって、数年前からあそこで記事を書かせていただいています。といいましても、サイト同様非常に遅いペースなので、周りの方々には迷惑をかけっぱなしなのですが・・。

そこでも書きましたが、落合〜榑ヶ畑間の峠の名前はスッキリしたのですが、榑ヶ畑の案内板の集落の詳細については何もわかっておらず、モヤモヤが晴れずにいます。年数が経つにつれて埋もれゆく情報が多いことを痛感する日々です。

こちらも更新できず中途半端な状態が続いていますが、決してやめているわけではありませんので、これからもよろしくお願いします。


写真は霊仙〜鍋尻山といった鈴鹿の山並みです。このあたりの山深い地の魅力はあせることがありませんね。

林道茨川線の終点 - 桑名の星の

2020/06/10 (Wed) 23:58:35

ご無沙汰しております。先日林道茨川線の終点まで初めて行ってきました。途中帰ってきた人に聞いたら「橋が落ちてて渡れないよ」とのことで、やっぱりそうだったんですが。

終点の川向うに事務所らしき建物があったんですが、何かご存知ですか?
廃村跡はもっと奥なんでしょうね。

梅雨入り前日の良い天気で気持ち良かったです、またゆっくりやさしく訪問したいですね。  楽しかった。

ではまた、しつれいします。

Re: 林道茨川線の終点 - e-kon(管理人)

2020/06/11 (Thu) 20:00:54

こんばんは、「桑名の星の」様
長らく更新しておりません当サイトですが、こうして書き込みいただき、ありがとうございます。

茨川に行かれたんですね。行かれた所が林道終点であれば、その川向こうというと茨川集落跡になります。事務所跡らしき建物というのはそこにあったのでしょうか。ずっと以前というか、一時期川の向こう側に渡れる道が作られましたが、すぐに流されてしまったという記憶があります。また治山工事関係の事務所というか、簡易ハウスが川の手前に置かれていたこともありますが、もう15年以上も前のことです。

もしかするとご覧になったのは、集落跡にある山小屋かもしれませんね。写真(昨年の春撮影)奥に見える山小屋は分校跡で、県内の高校山岳部の前進基地です。

Re: 林道茨川線の終点 - 桑名の星の

2020/06/11 (Thu) 22:07:03

こんばんは。返信ありがとうございます。
変な書き込みが有ったのでよかったです。

梅雨入り前の一日、天気予報でいくと今日しかないと、行ってきました。いままで原付でパンクが心配で行けなかったですが、行って良かったです。
釣りの方やバイクもおられました。林道は緑もきれいで川を渡る風も爽やかで益々好きになりました。

次は時間を使って散策したいですね。

これからも林道にインパクトあたえることなく、静かに訪問します、

Re: 林道茨川線の終点 - e-kon(管理人)

2020/06/11 (Thu) 22:38:34

こちらこそ、ありがとうございます
いつの間にか、変な書き込みもあったりで驚きました。

これからはヒルやダニの季節になりますね。季節が良くなった時に集落跡をぜひ散策ください。川を渡りながらになるので、長靴だと便利だと思います。

自然の中って、本当に心癒されますね

新年が明けて - kotaro

2020/01/13 (Mon) 07:33:40

令和になって最初の正月ですが、昔に較べると祝賀ムードが感じられなくなりました。
昭和から平成の時を思い出すと、1月7日で昭和が終わり、平成元年の年末は、1990年代の始まりにいろんなことを予測したものでした。

今回は2020年代に突入した訳で、もっと変化や時代の対応予想が出るかと思ったのですが、新聞の新年特別版にも目新しいことは書いて無く、新聞印刷メディアの退潮を感じました。
それに変わるべきネットや電子媒体にも、それほど目を引く新年記事は少なく、むしろ4月後半の平成を総括する記事の中に、私が共感するものがあったと思います。

私は平成はあまり良い時代でなく、幕引きは早い方が良いと思っていました。戦争の無い時代と、前の天皇が発言しましたが、後の無い退却戦のような状態が25年くらい続いてのバトンタッチです。
それもあるから令和初の正月と言うのに、期待が出来なかったのが庶民感情ではないでしょうか。

私はかつて、毎年新年の予測を、ホームページ、ブログに書いたことが在ります。国際情勢と経済予測もしましたが、世界の話はまだ書けそうですが、経済は予想を楽しむどころではありません。

材料の出ない景気の趨勢よりも、去年のグレタさんの演説ではありませんが、気候が変ですね。今年の池田の1月は一番寒い時期なのに、3月の寒い日程度の寒さです。

Re: 新年が明けて - e-kon(管理人)

2020/01/14 (Tue) 01:38:43

書き込みいただき、ありがとうございます。

そういえば、新年を祝うという正月独特の雰囲気は本当に薄れましたね。ここらは田舎ですので、年末に門松作りのために竹やぶから竹を取りに行く人の姿を見ることがありますが、実際に玄関先に飾っているお宅を見ることはほとんどありません。多分昔からの在所の一部の方が今もされているだけなのでしょう。日の丸を玄関先にあげる光景も、自宅周りでは全く見かけることがなくなりました。

昭和の時代は、ナンバープレートにつける車用のしめ縄とミカンがあって、それをつけたヤンキー車が走り回っていたり、繁華街に行くと着物姿の若い女性を普通に見かけたり等々、それはそれで楽しく面白かったものです。パッソルにしめ縄をつけて走るヤンキーさんの姿には笑ってしまいましたが、それはそれで遊びのような感覚で、みなさん新年の雰囲気を楽しんでいたのかもしれません。

今の時代、「将来はユーチューバーになりたい!」っていう子供さんも多いみたいですね。一昔前では想像つかないことです。この先も、想像がつかないような世界が、時代が待っているのでしょうか。そこに夢が持てるといいのですが、夢の持てない社会や、それを持てないような人間を育てる社会にはなってほしくないものです。

写真は尾羽梨でしょうか、ここらも水資源機構の管理下となってからは訪れることも少なくなってしまいましたが、数年に一度はコソッと訪れています。

中河内の湧水 - masa

2013/01/21 (Mon) 18:55:37

早速拝見いたしました。
あそこの湧水は私も何度か味わいました。非常においしい「清らかな」水ですね。中河内を通るときはよく汲んでいます。
地名はその土地の歴史を表していて面白いです。まったく関係のない話ですが、私がいた海外でNovi(ノーバイ)という町がありました。あるとき友人がその言われは列車の駅の番号(No.VI、ナンバーシックス、6番)なんだよって教えられたとき歴史を感じて感動したものでした。
特に変わった地名は興味を持ちやすいですが普通の良くある名前の地名でも色々いわれはあるのでしょうね。
そんな切り口で地図を眺めるのも楽しいかもしれませんね。

とりとめのない話をしてしまいました。
相変わらずe-kon様のお話は勉強になります!!
ありがとうございました。

Re: 中河内の湧水 - e-kon(管理人)

2013/01/22 (Tue) 21:34:14

こんばんは、masa 様

早々にご覧いただき、またこうして感想をいただいて大変嬉しく思います。
ありがとうございました。

masa様も「己知の冷水」を飲まれたことがあるんですね。夏の暑い時とかは特に美味しいですよね。
そういう時期に『中河内』へ訪れた時などは、必ずといっていいほど立ち寄って喉を潤しています。ああいった水を飲んだ後にコンビニで買ったジュースとかを飲むと、何か毒々しく感じたりしてしまうほど爽やかな味に感じます。

いろいろな所に訪れると、ナゼ?と思うような変わった地名がついている所があります。特に印象的なのは、岐阜県の旧徳山村の山奥にあった「狂小屋」という地名です。どの地名も、それぞれに由来があるもので、大変興味深いです。

この「己知(コチ)」や「ちこべ」もそう感じて、いつか調べたいなぁと思っていた所でした。結局確かなことはわからなかったのですが、こうして勝手にいろいろ推測するだけでもけっこう楽しいものがありました。日本にも、Noviのようにしゃれた地名がけっこうあるのかもしれないですね。

Re: 中河内の湧水 - masa

2013/01/23 (Wed) 09:48:56

本当に、己知の冷水はおいしい水です。夏場にペットボトルで持ち帰りキンキンに冷やして飲んだ時はたまりませんでした。

狂小屋ですか、恐ろしい名前ですね(笑)
ジェイソンでも出てきそうな・・・
滋賀に初めて来たときは「金糞岳」に驚きました。
「くそ」て…(苦笑)
何か言われでもあるんでしょうか、まともに調べていませんがこの機会に調べてみようかな、なんて思っています。
長浜市には「口分田(くもで)」とか「鍛冶屋」とか、名古屋のほうでは聞かない地名が多くて楽しいです。

Re: 中河内の湧水 - e-kon(管理人)

2013/01/23 (Wed) 20:34:48

私も初めて地図で金糞岳の名を見た時は、驚きました。
鉱物の含まれた石がゴロゴロしていたのかもしれませんね。

ちなみに狂小屋は、痴呆症になってしまった高齢者の方が集められて生活していたと聞きます。農繁期の忙しい時など、家に誰もいなくなってしまって危険だったからなのでしょう。
以前、林道奥深く入って行った時に、建物の痕跡らしきものを見た記憶がありますが、当時は今のように車で送迎できない時代、大変だったことと思います。

Re: Re: 中河内の湧水 - なち

2020/01/03 (Fri) 15:00:42

そんな由来が…。痴呆にゃ人権はなかったんですねぇ

Re: 中河内の湧水 - e-kon(管理人)

2020/01/03 (Fri) 20:07:43

その頃の時代、差別・人権無視など、今の時代からは想像できないひどい状況だったことでしょう。とはいえ、デイサービスや介護施設などもちろんない時代、山深い寒村においては、他に方法がなかったのも事実だったと思います。背景を考えると複雑です

新年のご挨拶 - お

2020/01/03 (Fri) 17:35:47

あけましておめでとうございます

昨年は初めて沖島に渡ったっり、蓮分校跡と殉職された先生の碑を訪問したり、久しぶりに開通した中津川林道に行ったりと、充実した一年を過ごせました。
この春でいよいよ定年退職を迎えるので、体力的にも金銭的にも無理のない範囲で出かけたいと思っております。

管理人さんのアップも楽しみにしておりますが、無理のない範囲に留めておいていただいて、細く長くここを楽しめれば良いなと思っております。

本年もどうぞよろしくお願いいたします

Re: 新年のご挨拶 - e-kon(管理人)

2020/01/03 (Fri) 19:55:46

新年、おめでとうございます。
いつもこうして新年のご挨拶いただき、とても嬉しく思います。一方で、こうして応援いただいているのに、新たなアップができていないことを大変申し訳なく思っております。

蓮集落、懐かしいです。何度か行っているものの、分校跡には訪れたことがなく残念に思います。中津川林道にも行かれたんですね。そういえば県外の廃村や林道には、昨年は一度も訪れることができませんでしたが、今年こそ実現させたいなど思っています。

本年も、よろしくお願いいたします。

萌の朱雀 - お

2019/05/20 (Mon) 17:50:09

管理人さん、こんばんは。
ちょっとしたご報告です。
GWは10連休という最大の休みになったようですが、私は2連休1回と単独の休日1回という悲惨な状況でした(;´Д`)
ですが、GW最終日の1日だけの休みに、西吉野をドライブしてきました。
きっかけは、ある方のブログを拝見していたら萌の朱雀のロケに使用されたお宅があることを知ったからです。
調べたらGoogleマップにも出ていました。
山の斜面そのままの畑、みちるが上った赤い屋根。縁側から見える山々。
どれもこれも映画の世界のままでした。
天空の里と呼ばれる場所は幾つもありますが、ここもまた、また訪れたくなるような、すばらしい天空の里でした。(^^♪

また、行きがけに、賀名生バス停にも寄りました。
地域の見どころである賀名生梅林などを紹介する地図には、まだ国鉄バスと書かれていたのがなんとも複雑な気持ちにさせられました。

Re: 萌の朱雀 - e-kon(管理人)

2019/05/21 (Tue) 20:26:37

こんばんは、お様
ご無沙汰しております。書き込みいただきありがとうございます。

すごいですね。心が洗われるような美しい風景です。
「萌の朱雀」からかなりの年数が過ぎていますが、本当に今もきれいに保たれているんですね。ぜひ実際に見てみたい、そう思わせてくれる素晴らしい風景です。あの映像から感じた、淋しげな透明感、やるせない美しさなど、そのまま感じさせてくれるような気がします。

早速、場所を調べてみました。都市部を避け伊賀方面から回ると150kmくらいでした。ここのところ県内の山間部ばかりをウロウロし、なかなか外に足が向いていないのですが、ぜひとも行ってみたいと感じています。良い刺激をいただき、ありがとうございました。

GWも大変お忙しくされていたんですね。1日で西吉野まで往復されるのは大変だったと思いますが、中身の濃い1日だったことでしょう。こちらは、GW後半の晴天時に多賀町の芹谷、権現谷、脇ヶ畑地区などを散策してまいりました。また、先日は久しぶりに茨川も訪問してきました。写真はその時のものです。山小屋として使われている家屋はや分校校舎は今も手入れされて健在でした。廃村とはいえ、こうして人の温もりを感じるのを見るとホッとします。

Re: 萌の朱雀 - e-kon(管理人)

2019/05/21 (Tue) 20:35:24

写真はこちらです

こんばんは - kotaro

2019/05/02 (Thu) 03:18:50

平成が終わり令和になりました。
こちらのお付き合いも長くなっております。
この2、3日に私が目撃した改元に関する庶民の意見、感想で興味を持った記事と私の感想を、今日は書きます。
まずは「平成は戦争が無かった時代」一定の年数を措いた時代で初めてらしい。これは菅官房長官が言ったのでしたっけ。
リトゥイートされて広がっています。
あとは個人的なtwitterフォローしている年代の近い女性の「平成は、結婚出来て、子供が生まれて育って、今も幸せが続いている。とても幸せだった」という女性らしい30年間の振り返りでした。

私は立ち場の違いはあれど、その二つは間違っていないが正解でもないと見ます。
まず戦争は今も世界各地で続いていますが、平成の日本国内では、阪神と東日本の大震災で、多くの人命が近代では戦後初めて奪われましたし、成長社会が終わってからの長いデフレは、国民の多くが夢どころか職も失い、短期的な巻き返しが一度も無かったために、多くの人が自殺すると言う、結果が残されました。

昭和はたしかに第2次世界大戦の、歴史に残る教訓と衝撃があり、比較がしにくいのですが、5年以内に経済の波があり、長期間に渡り喪失して行くといった下り坂が無かったと考えられます。

平成の30年間に日本は、多くのものを失い過ぎました。夢も財産も、貯蓄も含めて、明日のためには残すものがないと言ったような。
今、平成がやっと終わって、人心はかつて無い程疲弊し、新しい時代に希望を持てるか判らないと言います。こういうタイミングに今は立っていますが、後の幸せのような、家族制度などの持続も含めて、頼りや信じられるものを一つずつ増やして行かないと、折角長く続けた元号と言う制度も、日本が世界社会にいる意味すら見出せません。

ところで、e-kon様のこのサイトを見て、日本の人は町に住むことは一部や稀なことであって、昔は町で暮らすより村や山の中で、細々なのか見合った経済活動でじっと何百年も生き続けていました。
私は都市部の極端な集中と、田舎を諦めてしまう過疎も、どこかで転換が価値を含めて起きないかと考えます。
新時代の元頭に立って思うことは、そこくらいに希望を持ちたいものです。








Re: こんばんは - e-kon(管理人)

2019/05/05 (Sun) 02:57:56

こんばんは、kotaro様
書き込みいただき、ありがとうございます。

おっしゃられるように、平成の30年間で日本は多くのものを失ったように思います。平成から始まったわけではないでしょうが、それは今なお継続中で、この先どうなっていくのかもなかなか先が見えないというか、現状では明るい将来をイメージすることができません。それは、今ある問題に対してどのように立ち向かうのかがはっきり示されず、日本の将来のビジョンが全く見えないというのが大きいように思います。少子化・人口減、保育問題、一極集中、年金、介護・・等々誰もが身近に感じる問題の根本的解決案が全く示されておらず、現在や将来いずれもが不安に感じるばかりだからでしょう。これでは人々の心に余裕がなく荒廃するばかり。

北海道をしばらく放浪した時、そこに日本の将来が見えたように感じました。都市部とそこを離れた地域の差のあまりもの激しさ。人の数や様々な施設、交通などは都市部を離れると一気に廃れ、活気を失ってしまうのです。といって地域が怠慢をしているわけではなく、限られた中で必死に努力が成されている。良い施設を限られた予算でようやく作っても人が来ない。当たり前です、人そのものがいないのですから。そして来るのはアジア系の外国の人たちばかり。廃校、廃線、廃村の多さと地方の荒廃は、本当に衝撃的でした。

中山間地で住めなくなった(中山間地で林業・農業で生活できなくなった)ことで、山間部では多くの集落が姿を消し、人々は都市部へ出ざるを得なくなる。といって都市部で豊かな生活が送れるかといえば決してそうではなく、むしろ経済的には苦しく、将来の光など感じられない。更に、これからは年金受給年齢はさらに高く設定され、70歳になるまで働かなければならなくなる時代が来るといいます。これで将来に夢を持つなど、普通に生活する大半の者にとっては難しいことです。

子どもを持つ若い世代が普通に働きながら豊かに暮らせる、複数(3人以上)の子どもを持っても普通に生活できる、まずはそのあたりの実現を具体策を示し目指して欲しいものです。具体策を示せば、消費税アップも納得できるでしょう。

などボヤいてばかりですが、写真は昨日訪れた琵琶湖近くの田植え準備の風景です。たくさんのユリカモメが印象的でした。彼らは、もう間も無くして北のカムチャッカを目指して旅立つようです。

平成から令和へ - 桑名の星の

2019/04/14 (Sun) 21:03:48

管理人様、久しぶりに書き込みさせていただきます。
世の中やたらと「平成最後の・・・」とゆうのが氾濫してます。
元号がどうなるなんてのは、さほど興味はないですが、人生の中の区切りにはなるかもしれませんね。
そんな平成から令和に変わる時、思うに平成の最後の時期にこのページを知り、山深い集落を単車で訪問したり、林道の側で一夜の自然を身体で感じたり、貴重な体験を経験しました。
おそらく令和の時代になってもやってるんでしょうね。

管理人様におかれましても、ますますのご活躍期待しております、どうぞお元気で!  では。

Re: 平成から令和へ - e-kon(管理人)

2019/04/16 (Tue) 01:07:34

こんばんは、桑名の星の 様
書き込みいただき、ありがとうございます。こうした書き込みをいただき、大変嬉しく思っています。

このサイトがきっかけで、ご覧になった方が山や集落に出かけたりされているとしたら、そして共有できるような思いを感じていただいているとしたら、それは本当に幸せなことであります。変わりゆく山の風景は、いろいろなことを語っているように思います。それは時代が変わっても継続しています。

すっかり更新が滞っていますが、この春も多賀の山奥へ行ってまいりました。その風景を見ると、確実に時は流れ山村の風景が変わっていることを感じます。写真は脇ヶ畑地区・杉集落の風景です。

年明けの御挨拶 - kotaro

2019/01/22 (Tue) 06:55:52

平成最後の新年が明け、今年が始まりました。
気持ちは年々「憂し」という感覚が募ります。
管理人さまご存じのようにSNSを使っていると、私は時々実名と実体の個人の乖離のようなものに悩み、何をしているだろうという気がします。
ここに来させてもらう時は、パソコン空間が本来持っていた気軽さと、余計なものを身に付けない心の軽さで書かせてもらっています。
昔の旅の記憶が、40年前になりました。そういった時代を見て来た私もとうとう今年で還暦で、何もできなかったけれど、人生は諦めの方が気が楽で、手元に何も残らない方が、彼の世への旅に出やすいと思います。
私にとり浮世は、人との会話や相談を受けて、面白い動き方や生き方をしている人との対話の方が楽しくて、私がつまらないと思う方法論で生きる人と接することは、とにかくしたくないと、改めて思います。

パソコン社会が20年になり、皆さんはそれ以前の記憶を求めて彷徨っているように思えます。
私は古い写真ばかり整理して、自分の使いやすい方法で取り出して、質問によく答えます。
これで平成が終わり、もう一段と昭和の記憶は過去の歴史になります。
その昭和の時代ってなんだろうと、漠然と万博が議論されたり、実に底の浅い反駁がなされたりと、平成の奇妙さばかりが目立ちます。
平成は本当にシリアスなことばかりの時代でした。
人間ってほんとうはもうちょっと馬鹿でおっちょこちょいで、でも原初的な楽しい生き物の筈だったとよく思います。
それは古い写真のなかに、残っているのかもしれません。

Re: 年明けの御挨拶 - e-kon(管理人)

2019/01/24 (Thu) 00:03:07

こんばんは、kotaro様
書き込みいただき、ありがとうございます。

平成もあと数ヶ月ですね。昭和という時代は、自分の中で強烈な印象があるのですが、さて平成は?っていわれると、何も浮かんでこないというか、浮かんでくるのは大きな災害があったということが強く残るくらいで、どうも印象が薄く感じています。もちろん社会は大きく変容しているのですが、昭和のようにわかりやすくない、そういうイメージです。自分の年齢的なものもあるのでしょうね。

変な表現ですが、今の日本社会は「可愛くない」そんなイメージです。ひねた子どものようなというか、通常、単純に外にむけて発すべきエネルギーが内に向かい、くすぶる感じで自己解決してしまう。そのため、何かをする前に自分の中で展開し結論を出してしまい、結局行動を起こすことなく終えてしまう、そんな感じです。その背景には今の情報社会、自分が動かなくても(表面上は)なんでもわかってしまう、見ることができてしまう、ネットの中で解決できてしまう、ネットの中でも嘘か誠か不明な「自分」が簡単に作り上げることができてしまう、そういった不思議な背景があることも影響しているように感じています。そして、そういった中にどっぷりとつかっている自分、近寄りたくないという自分も感じています。

好きな山里歩きは今も続けていますが、そこで出会う人たちが自分に近い世代となってしまってからは、以前感じていたような新鮮な気持ちを得ることが難しくなっているのも、時代の流れでしょうか。昭和真っ盛りを生きてこられた80代、90代の年齢の方のお話は本当に胸がワクワクしたものですが、そういった世代の方々と山で出会えることは年齢的にごく稀です。とはいえ、私自身意欲を失っているわけではなく、これから自分の中でこれまでのことをどうまとめていくのかという課題を感じる一方で、まだまだ動いてウロウロしないと!というのも強く思うところです。おっしゃるように馬鹿でオッチョコチョイであってこそ、面白い展開が起こり得るのだと思います。

写真は、鈴鹿の北部、霊仙山から鍋尻山あたりです。この山中に多くの廃村が点在しています。


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